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グアテマラの産地情報


グアテマラコーヒーの産地情報
グアテマラ国旗




・基本データ
国名 :グアテマラ共和国(漢字表記は厄地馬拉」)
面積 : 10万8889平方キロメートル
人口 :約1,634万人(2015年)
民族 :マヤ系先住民46%、メスティソ(欧州系と先住民の混血)・欧州系30%、その他(ガリフナ族、シンカ族等)24%(2011年)
首都 : グアテマラシティー
言語 : スペイン語(公用語)、その他に22のマヤ系言語あり
宗教 :カトリック、プロテスタント等(信教の自由を憲法上保障)
GDP :639.6億ドル(2015年)
主要産業 :農業(コーヒー、バナナ、砂糖など)、繊維産業
通貨 :ケツァル(Q)
独立した年 :1821年9月15日スペインから独立

 グアテマラを含む中米地域(ホンジュラス、エル・サルバドル、ニカラグア、コスタリカなど)は、16世紀にスペインに征服されてから19世紀前半まではグアテマラ総督領として植民地支配を受けていました。グアテマラがスペインからの独立を宣言したのは1821年のことですが、その後もメキシコ帝国への編入、中米連邦共和国の成立と崩壊をへて、グアテマラが単独の国家として独立を果たしたのは1839年のことです。

 「グアテマラ」という国名は有力な説によるとナワトゥル語の「クアウテメラン」に由来し、「森林の大地」を意味しています。グアテマラを含むメキシコ南東部からベリーズにかけてのユカタン半島一帯には、スペイン人が入植するまではマヤ文明が栄えていました。なかでもグアテマラでは現在でもマヤ人の末裔が多く暮らしており、マヤ文明の繁栄をうかがうことのできるティカル遺跡や、スペインの植民地時代の面影を残すアンティグアのコロニアル様式の美しい街並みがユネスコの世界遺産に登録されています。公用語はスペイン語ですが、今日でもマヤをはじめとした先住民族の言葉が多く使用されています。

 政治では 軍事独裁政権が長く続き、1944年から1954年までは「グアテマラの春」と呼ばれる民主的な時代を迎えるものの、1951年に政権に就いたハコボ・アルベンス・グスマン大統領の農地改革によって米国資本であるユナイテッド・フルーツ※1社(UFCO)の所有する土地の接収が決まると、アメリカ政府・CIA(中央情報局)はアメリカの「裏庭」での共産国化を懸念し、クーデターを画策しアルベンス政権を崩壊させました。その後は内戦へと発展し、1960年から1996年まで続いた内戦下で大量虐殺(ジェノサイド)が行われ、死者・行方不明者は20万人にも上るとも言われています。その被害者の多くはマヤ民族で、政府と左翼ゲリラURNG(グアテマラ民族革命連合)との間で和平協定は結ばれたものの、加害者の責任追及や被害者救済などの課題が残されたままとなっています。また、現在でもなお非先住民による先住民への差別が続いており、先住民の貧困の深刻化、そして治安悪化も社会問題となっています。
※1.ユナイテッド・フルーツ社・・・外国資本優遇政策をとったカブレラ政権により1904年に国内の主要な鉄道路線の運営権と広大な土地の取得を認められていた。(出典『ラテン・アメリカ史Ⅰ』)

 グアテマラ経済は農業を主体としており、労働人口の過半数を超える人々が農業に従事しています。主な輸出品はコーヒー、砂糖、バナナで最大の貿易相手国は米国となっています。しかし、農産物の輸出に依存した経済であるため、天候や市場価格の影響を受けることから、政府は産業の多角化を進めるべく、食品や繊維の加工産業、観光業の発展にも力を注いでいます。

・国土
 グアテマラはメキシコ南東でユカタン半島の付け根に位置しています。国境を北東にベリーズ、東にホンジュラス、南東にエルサルバドルと接し、海は、北東はカリブ海に、南は太平洋に面しています。

 面積は日本のおよそ3分の1ほどの大きさで、北部は平原地帯で、カリブ海沿岸にはグアテマラ最大の湖イサバル湖があります。一方、中央には国土の60%を占める高原地帯、その南は太平洋海岸地帯(コスタ)となっています。中央高原には中米で最高峰となるタフムルコ山(4,220m)をはじめとして多くの火山が連なります。また、ソロラ県にあるトリマン火山(3,158m)は日本の富士山に似た形をしており、その麓にあるアティトラン湖からの眺望は世界一美しいともいわれています。

 グアテマラには四季はなく、標高によって期間が異なるものの雨季(5月~10月)と乾季(11月~4月)に分かれています。気候は標高により多様な環境があり、標高の低い北部や太平洋・カリブ海沿岸地域は熱帯雨林やサバナ気候で年間を通して気温は高く、一方で中央高原地帯ではグアテマラが「常春の国」とよばれるように年間を通して温暖な気候で、首都グアテマラシティをはじめ、アンティグア、ケツァルテナンゴ、エスクィントラなどの都市があります。また、中央高原の山麓では雨量が多いことに加え、火山性の肥沃な土壌であることからコーヒー栽培の中心地となっています。

・グアテマラコーヒーの歴史
 グアテマラにコーヒーが伝わったのは1750年代、イエズス会修道士によって持ち込まれたとされています。本格的な商業栽培が始まるのはスペインから独立した後の1860年代で、それまで主要な換金作物であった染料の元となる天然インディゴやコチニール※1が、化学染料の発明によって需要が減少したためその代替作物としてコーヒーの栽培が開始されました。
※1.コチニール・・・サボテンに寄生するカイガラムシから抽出される赤い染料

 19世紀後半の中米地域では、カトリック教会や地主層を中心とした植民地時代の旧支配体制を支持する保守派に対して、近代的な政治体制と物質的繁栄を求める声が高まっていました。そして、コスタリカをはじめとした他の中米諸国が徐々にコーヒーの輸出によって経済力をつけていくなか、グアテマラでも新興の資本家層を中心とした自由派が保守政権を打破し、1873年に政権に就いたフスト・ルフィーノ・バリオスは自由主義改革を唱えます。バリオスはこれまでの植民地時代の政治・経済の構造を改革し、強権的な手法でコーヒーの生産拡大に力を注ぎ国家の近代化を積極的に進めていきました。そしてこのバリオスのとったコーヒー産業重視の政策は、1944年ホルヘ・ウビコ政権が失脚するまで引き継がれるていくことになります。

 農地拡大の手段としては、スペイン入植後も不耕作地であった南部平野地帯のポカ・コスタと呼ばれる地域に大規模なプランテーションが作られました。政府は当初このプランテーションでの労働力として、マンダミエントと呼ばれる制度を設け、山間部に多く住んでいた先住民を強制的に農園の労働に従事させることを図りますが、その厳しい労働に耐えかねて反乱や逃亡する農民が後を絶たちませんでした。やがて先住民を農園に縛り付けるマンダミエント制よりも、収穫時期にだけ農園での労働に従事させる方が経済的だということがわかると、政府は1934年にこの制度を廃止し、先住民は山間部でトウモロコシ栽培などの伝統的な暮らしを守りながら、季節労働者(出稼ぎ)として働くようになります。
 
 一方で、政府は十分な労働力を確保するためにヨーロッパやアジアなどから多くの移民を導入しました。なお1893年には日本からもラテンアメリカで最初の移民がわたっています。特に多かったのはドイツ系移民で、彼らは広大な土地を購入して大規模な農園を開き、ドイツ人所有のコーヒー農園は全体の3分の1を占たといわれています。また、彼らによって近代的な農業技術が持ち込まれたことでコーヒーの生産性はさらに向上しました。

 1898年に大統領となったマヌエル・ホセ・エストラーダ・カブレーラは外国資本の優遇策をとったことで、コーヒーを輸送するための鉄道や港の整備といったインフラが整備されていきます。この優遇政策によってもっとも大きな利権を得たのはアメリカのユナイテッド・フルーツ社(UFCO)で、バナナ産業を独占し、広大な土地の取得に加え鉄道の運営権も認められました。このため、19世紀末のグアテマラではドイツ、アメリカ両国の経済的結びつきが強く、ドイツが第一次世界大戦に敗北しその影響力が衰えるまではコーヒーの多くがこの2カ国へと輸出されていました。

 1929年の世界恐慌のあおりを受けコーヒーの需要が落ち込みますが、1931年に大統領となったホルヘ・ウビコは、緊縮財政政策をとりつつ、コーヒー産業を保護しグアテマラ経済を立て直しました。また、ウビコは1939年に第二次世界大戦が始まるとアメリカに追随して枢軸国(日・独・伊)に対して宣戦布告し、ドイツ系移民を弾圧し、ドイツ人が所有するコーヒー農園を没収しました。

 これらの政策によって19世紀後半から20世紀前半までのグアテマラは、コーヒーの輸出に特化したコーヒー・モノカルチャー経済が確立し(1880年代にはコーヒーの輸出が全体の9割を超えた)、それと同時に新興のコーヒー地主は経済だけでなく政治にも強い影響力を持つようになり、少数のコーヒー地主が大多数の先住民を支配する寡頭支配体制が構築されていきました。

 1969年には、グアテマラ全国コーヒー協会「ANACAFE(アナカフェ)」が設立され、生産者の利益を守るため、気象や災害情報などコーヒーに関する様々な情報を提供し、品質向上のための技術指導も行っています。また、ANACAFEはスペシャルティッコーヒーの普及や消費者への宣伝にも力を入れています。

 グアテマラは世界に先駆けてスペシャルティコーヒーの生産に取り組み、2000年から2004年頃の初期のスペシャルティコーヒーマーケットの成長期を支えた国でもあります。

・現在のコーヒー栽培
 グアテマラの主なコーヒーの産地は南部の山岳地帯や太平洋側を中心にアンティグア、ウエウエテナンゴ、アティトラン、フライハーネス、コバン、サンマルコス、ニューオリエンテ、アカテナンゴの8つのエリアがあり産地ごとに個性をもったコーヒーが産出されています。なかでも、アンティグアは100年以上の歴史を持ち、濃厚なコクをもつ高品質のコーヒーを産出することで有名です。

 栽培されている品種は、アラビカ種の中でもブルボン種がもっとも多く、他にはカトゥアイ、パカラマ、マラジコッペなどがあります。栽培はコーヒーと一緒にシェードツリーと呼ばれる背の高い木を植えることで、日陰を作り、照りつける強い日差しからコーヒーを守っています。また、このシェードツリーは渡り鳥の避暑地としての役割も果たし、国内に700種類を超える鳥類が生息するといわれています。グアテマラの国鳥ケツァールもその一つです。そして、この人工的な森林は国内全体で年間2,600万トンもの二酸化炭素を消費し、人口の約50%が消費する酸素を供給しているともいわれています。
 
 グアテマラのコーヒーは果実のような香りと上品な酸味、しっかりとしたコクがあり、甘味があるのが特徴です。また、ブレンドとしても広く用いられています。

・等級
グアテマラの等級は標高によって格付けをしています。標高の高い方がより高品質な豆とされています。
1350m以上     SHB(ストリクトリー・ハード・ビーン)
1200~1350m   HB(ハード・ビーン)
1050~1200m   SH(セミ・ハード・ビーン)
900~1050m    EPW(エクストラ・プライム・ウォッシュト)
750~ 900m    PW(プライム・ウォッシュト)
 ※標高は目安

・グアテマラのコーヒーレビューはこちらから
グアテマラ/ステイゴールド
グアテマラ パパトゥ(自家焙煎 珈琲工房ひぐち)
グアテマラ/グァタロン農園

グアテマラを知るための65章 (エリア・スタディ-ズ) [ 桜井三枝子 ]



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2017/07/01(土) | グアテマラ | トラックバック(-) | コメント(0)

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