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キューバの産地情報

キューバコーヒーの産地情報

キューバ国旗



・基本データ
国名 :キューバ共和国
面積 :109,884平方キロメートル(本州の約半分)
人口 :約1,147万人(2016年)
民族 :ヨーロッパ系白人、ムラート(黒人と白人の混血)、黒人、わずかながら中国系や日系も
首都 :ハバナ
言語 :スペイン語
宗教 :宗教は原則として自由
GDP :871.3億ドル (2015年)
主要産業 :観光業、砂糖,タバコ、石油、ニッケル、医療・バイオ産業
通貨 :キューバ・ペソ、兌換ペソ(外国人が使用)
独立した年 :1902年5月20日スペインから独立

・歴史
 カリブ海に浮かぶキューバ島は1492年にコロンブスが西インド諸島に到達した際に「発見」され、1511年にスペインのベラスケスによって征服されました。スペイン人が入植を開始した当初はシボネイ族、タノイ族などの先住民が暮らしていましたが、虐殺や強制労働、スペイン人が持ち込んだ疫病によって16世紀半ばまでのわずか100年間でほぼ絶滅したとされています。

 スペインの植民地となったキューバはおよそ400年もの間、中南米に広がる他のスペイン植民地と本国との中継地点として重要な役割を果たすことになります。サトウキビのプランテーションが建設され、19世紀中頃には世界最大の砂糖生産地となりました。ここでの労働力には絶滅した先住民に代わりアフリカ大陸から多くの黒人奴隷が導入されました。また、それまでスペインの専売だった葉巻の販売が自由化されたことでさらに富を得ました。

 19世紀に入り中南米諸国が次々と独立をするなか、キューバはスペイン植民地最後の砦として徹底した管理・支配を受けていたため独立は遅れていましが、19世紀後半にスペイン本国からの抑圧がいっそう強まると、サトウキビや葉巻の生産で経済力をつけた農園主層やクリオーリョ(植民地生まれスペイン人)を中心に自由と平等を求める声が強まり(アメリカ合衆国編入を目指す運動もあった)、二度にわたる独立戦争と米西戦争を経て1902年に独立を果たします。

 第二次独立戦争では、ホセ・マルティ率いるキューバ革命党が勝利を目前としていた1898年2月、アメリカのメイン号が謎の爆沈を遂げたことをきっかけに米西戦争へと発展します。独立後は戦争に勝利したアメリカの保護国となり、政治・軍事の両面で干渉を受けるとともに、このときキューバ島南東部にあるグアンタナモ基地の永久租借を認めさせ、これは現在でも米国が租借を続けています。

 独立後のキューバはアメリカ資本によって鉄道や道路などのインフラが整備され、サトウキビの栽培に特化したモノカルチャー(単一栽培)経済が発達します。砂糖産業はアメリカ企業のほぼ独占状態となり、経済的にもアメリカの従属を強いられ貧富の差の大きい社会となっていきました。

 1950年代に入るとフィデル・カストロやチェ・ゲバラを中心とした反政府ゲリラの活動が活発になり、1959年にバティスタ独裁政権を打倒します(キューバ革命)。カストロが革命政権の指導者となると、農地改革によってアメリカ企業の土地を接収し、ソ連との関係を構築するなどしたため、冷戦のさなかアメリカとの関係は次第に悪化し、アメリカは経済援助の打ち切りや砂糖の輸入停止をし、1961年には国交の断絶に至ります。また、同年アメリカがキューバへ侵攻するプラヤ・ヒロン侵攻事件(ピッグス湾事件)が起き、この事件をきっかけにカストロはキューバの社会主義宣言を表明し、ソ連や東欧の社会主義諸国との関係をいっそう強め、翌1962年には核戦争の寸前まで達したキューバ危機を迎えます。

 1991年代に最大の援助国であったソ連が崩壊し、砂糖の輸出低迷から経済危機に見舞わて以降は、社会主義体制を維持しつつも段階的に経済の自由化を進めることになりました。観光開発に力を入れるとともに外資の参入も認め、さらに国民が自由にドルを所有できるようになりました。

・キューバ社会
 カストロはキューバ独立の父ホセ・マルティの「すべての人が完全に平等な社会の実現を目指す」という思想を受け継いでおり、国家体制は社会主義をとっています。電気やガス、水道、バスなど公共料金は非常に低く抑えられ(1960年代までは無料)、食料品は格安の配給制、医療と教育費は無料となっています。しかし、物資に乏しく受け取ることのできる食料はごくわずかで、不足分は高額な自由市場で買わなければならず、医師や薬が不足し手術などの適切な治療を受けることは難しいのが実情です。

 職業や役職による賃金格差はほとんどありませんが、国民がドルを所有することができるようになってからは、外貨を獲得しやすい観光業に携わる労働者と、それ以外の労働者との間で貧富の格差が広がっています。

 2016年11月25日カストロが死去し、弟のラウル・カストロが革命政権を引き継いだことで、これからのキューバの経済改革がどう進むのか、またアメリカとの関係が改善されていくのか注目されています。

・国土
 キューバはカリブ海に浮か島国で、面積はおよそ11万㎢、日本の本州のおよそ半分にあたります。首都ハバナのあるキューバ島はカリブ海でも最大の島となっており、東西に細長くのびています(全長約1250㎞)。

 海峡を挟んでわずか145㎞北にはフロリダ半島があり、西にはユカタン半島、東にはイスパニョーラ島(ハイチとドミニカ共和国)、南にはケイマン諸島とジャマイカがあり、地図を見るとキューバは海上交通の要衝であり、アメリカとは地政学的に重要な位置関係にあることがわかります。

 国土の4分の1を山岳地帯が占め、最高峰は南東部マエストラ山脈にあるトゥルキーノ山(1,974m)です。平らで肥沃な土地が多く、国土のいたるところでサトウキビ畑をみることができます。

 天然資源にも恵まれており、ニッケル、クロム、コバルト、鉄な、銅など豊富な鉱物資源が埋蔵されています。特にニッケルの生産量は2013年に世界10位でした。

・気候
 気候的には熱帯に属していますが、貿易風の影響により年間の平均気温は26℃、夏場でも28℃と比較的過ごしやすいです。雨期(5~10月)と乾期(11~4月)があり、降水量は年間平均で1,400㎜ですが、もっとも雨量の多い北西部では2,000㎜、少ないのはマエストラ山脈の東に位置するグアンタナモで1,000㎜を下回ります。雨期にはハリケーンの来襲があり、とくに北西部はしばしば大きな被害を被っています。

・キューバコーヒーの発祥
 キューバにコーヒーがもたらされたのは1748年頃のことで、ドン・ホセ・ヘラルドというスペイン移民がフランス領サン=ドマング※1の農園からハバナ近郊にコーヒーの苗木を持ち込んだとする説があります。
※1.サン=ドマング……キューバ島の東に位置するイスパニョーラ島の西3分の1にあたる領地

 19世紀初頭、サン=ドマングがハイチ革命によって独立すると、難を逃れたフランス人が奴隷を連れてキューバに移住し、サトウキビのプランテーションを建設します。このとき、ハイチと似た気候である南東部のシエラ・マエストラ山脈の麓(サンティアゴ・デ・クーバ州とグアンタナモ州にまたがる)の広大なエリアにキューバではじめてとなるコーヒープランテーションが建設されました。この跡は現在でも保存されており、2000年に「キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観」としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。

 その後も19世紀中に全国に多くのプランテーションが作られますが、ブラジルをはじめ南米のコーヒー生産が活発になるにつれ徐々にハイチ伝来の伝統的な手法を用いたプランテーションは衰退していきました。

・現在のコーヒー栽培
 現在のキューバコーヒーの栽培はアメリカによる経済制裁やソ連崩壊後の経済危機の影響もあり伝統的な栽培方法が見直され、石油エネルギーや化学肥料に頼らない有機農業に力を入れています。

 栽培の中心となっているのは東部のグアンタナモ県とサンティアゴ・デ・クーバ県にまたがる標高1,000mの山岳地帯です。ここでは昼夜の気温差が大きく、年間1,900㎜を超える十分な雨量、雨季と乾季がはっきりしており、そしてコーヒーの木を熱帯の強い日差しから守ってくれる豊かな森が広がっていることで高品質のコーヒーを栽培するのには最適な環境となっています。また、コーヒーの精製過程で出る廃棄物や腐葉土を使って肥料にするなど、サスティナブルなコーヒー栽培に取り組んでいます。

 キューバのコーヒー産業は1959年のキューバ革命以降に国営となり、輸出業者はCubaexport(キューバエクスポート)の1社みとなっています。主な輸出先はフランスと日本で70~80%を占めています。

 豆の等級はスクリーンサイズ(粒の大きさ)と欠点豆の数によって以下のように分けられています。

ETL(EXTRA TURQUINO LAVADO/エクストラ トゥルキーノ ラバード)……スクリーンサイズ18以上で欠点豆12以下
TL(TURQUINO LAVADO/トゥルキーノ ラバード)……スクリーンサイズ17以上で欠点豆19以下
AL(ALTURA/アルトゥーラ)……スクリーンサイズ16以上で欠点豆22以下
※このほかにも国内消費向けに下位グレードがあります

 さらに、ETLのなかでも欠点豆が4以下のものはCM(CRYSTAL MOUNTAIN/クリスタルマウンテン)と呼ばれています。「クリスタルマウンテン」の名前はコーヒーの生産地でもあるマエストラ山の地層に含まれる石英(水晶)が日の光で輝くことに由来するとも言われています。クリスタルマウンテンの基準を満たすものは総生産量のわずか3%ほどしかなく、そのほとんどが日本へと輸出されています。

 しかし、近年はハリケーンの被害によって収穫量が大きく減少することもあり、2017年の生産量はその年の9月に発生した「イルマ」によって中部の農園が壊滅的な被害を受けたこともあり、FAO(Food and Agriculture Organization)の統計によると世界43位で6,867トンほどしかなく、とても希少なコーヒーとなっています。

 キューバ国内でもコーヒーを楽しむ習慣があり、月1度だけ低価格でコーヒーが配給されています。家庭での飲み方は、直火式エスプレッソで注出する濃厚なコーヒーが一般的で、あらかじめ抽出器具にたっぷりの砂糖を仕込んでおき、小さめのカップに注いで飲みます。

 2016年にオバマ政権下での米国との国交回復を受け、スイスの食品大手ネスレが米国でおよそ半世紀ぶりにキューバ産コーヒーの販売を再開することを発表しました。生産者の支援も行い、キューバコーヒーの継続的な輸入を目指します。




【新品】【本】キューバを知るための52章 後藤政子/編著 樋口聡/編著


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2018/02/24(土) | 産地情報 | トラックバック(-) | コメント(0)

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