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ハイチの産地情報

ハイチコーヒーの産地情報

ハイチ国旗



・基本データ
国名 :ハイチ共和国
面積 :27,750㎢(北海道の約1/3程度の面積)
人口 :1,085万人(2016年)
民族 :アフリカ系(約9割)、その他
首都 :ポルトープランス
言語 :フランス語、ハイチ・クレオール語(現地語化したフランス語)
宗教 :キリスト教(カトリック、プロテスタント等)、ブードゥー教等
GDP :80.23億ドル(2016年)
主要産業 :農業(米、コーヒー豆、砂糖、バナナ、カカオ、マンゴー、トウモロコシ)、軽工業(繊維製品、軽電気、機械組立)
通貨 :グルド
独立した年 :1804年フランスから独立

・歴史
 ハイチのあるイスパニョーラ島は1492年にクリストファー・コロンブスが「発見」しました。当初はアラワク人(タイノ人)が暮らしていましたが、東部にサント・ドミンゴを建設しスペイン人の入植が開始されると、厳しい労働や疫病によって絶滅に追いやられてしまいました。その後、島の西部で海賊の略奪やフランス人の入植がはじまると1697年のライスワイク条約によって島の西3分の1をフランスに割譲し、サン=ドマングと名づけられます。これが現在のハイチの国土にあたります。

 サン=ドマングでは絶滅した先住民に代えてアフリカから導入した黒人奴隷を労働力としたプランテーションによるサトウキビやコーヒー栽培が盛んになり、いずれも当時世界最大の生産量を誇りフランス経済を支えました。18世紀末には50万人を超える奴隷を抱えていましたが、1789年のフランス革命の際に人権宣言が発せられると、その影響はサン=ドマングにも及び、1791年に奴隷解放を求めた暴動が独立運動へと発展します(ハイチ革命)。デサリーヌ率いる独立軍はナポレオンの派遣した軍隊を退けて、1804年にラテンアメリカで最も早く、そして世界初の黒人国家として独立を宣言し、国名も先住民の言葉で「山がちな土地」を意味するハイチ(Haiti フランス語:アイティ、英語:ヘイティ)とあらためられました。

 しかし、当時この独立は国際社会からは承認されず、フランスへ1億5千万フランもの巨額の賠償金(フランスから接収した農園や奴隷の補償)を支払うことで独立の承認を得ることになったため、この賠償金が長年にわたりハイチ経済を圧迫し、結果的に社会の混乱を招く要因となりました。

 独立後のハイチは政治的にも混乱が続き、暗殺、内乱、クーデターが繰り返されました。ドイツの干渉が強まると、これを警戒した米国に占領(1915~34年)され、デュバリエ親子による独裁政権下(1957~86年)ではトントン・マクート(秘密警察を母体とした準軍組織)によって反体制派が虐殺などの厳しい弾圧をうけました。その後の民主化移行のさなかの2004年には反政府勢力が武装蜂起し、当時国軍の解体を進めていた政府はこれに対抗できず、アリスティド大統領は辞職します。これをうけて国連による国際連合ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)が開始され、治安の回復と民主化を支援、難民帰還などを目的とした活動が行なわれています。

・経済
 ハイチは経済的にも困窮しており、西半球でもっとも貧しい国となっています。ハイチの主要産業は農業で、なかでもコーヒーの輸出はは貴重な外貨獲得の手段となっています。労働人口の3分の2が農業に従事しそのほとんどが自給自足のために作物を育てていますが、長きにわたる内乱でインフラの整備は遅れ、土地が荒廃したことで生産性は低く食糧自給率は45%に留まっています。なお、国民の半数は栄養失調状態におかれています。

 このためディアスポラ(国外へ避難したハイチ人)からの送金や海外からの輸入、援助が欠かせない状況ですが、デュヴァリエ親子による独裁政権が終焉した1986年以降にIMFと世銀が提案した構造調整プログラム(貿易の自由化と関税撤廃なとの条件がある)を受け入れたことで、米国から流入した安価な米が価格の暴落をまねき、耕作放棄をした農民が都市に溢れ結果的に失業率が増加するという社会問題をまねいています。

 そうした状況のなか2010年1月12日、ハイチはマグニチュード7.0の大地震が発生し首都ポルトープランスも壊滅的な被害を受けるなど、20万人以上の犠牲者が出ました。引き続き国際社会の支援を必要とする状態が続いています。

・国土
 ハイチはカリブ海に浮かぶイスパニョーラ島の西3分の1を占めており、面積は北海道の3分の1程度の大きさです。東隣にはドミニカ共和国があり、海峡を挟んで西にはキューバとジャマイカがあります。国土は国名の由来でもあるアラワク語の「山がちな土地」が表すとおり平地は沿岸部にわずかしかなく、国内最高峰ラ・セル山(2,680m)をはじめいくつもの山脈が連なっており、起伏の多いのが特徴です。かつては緑豊かな森が広がっていましたが調理用の燃料としての炭や薪にするための伐採が進み、現在では山肌がむき出しになってしまい、ハリケーンの来襲による土砂災害をもたらしています。

・気候
 気候は熱帯性で、平地では蒸し暑いですが、一年を通じて貿易風が吹くため高地では温暖で過ごしやすい気候となっています。季節は雨季(4~10月)と乾期(11~3月)に分かれており、7~10月にはハリケーンシーズンを迎え度々大きな被害に見舞われます。首都ポルトープランスでは最高気温が年間を通して33℃前後で、最低気温は23℃前後となっており、年間雨量は1300㎜ほどとなっています。

・ハイチコーヒーの歴史
 ハイチコーヒーの起源※1は、フランス海軍将校ド・クリューが1720年に王立パリ植物園からマルティニーク島(カリブ海ウィンドワード諸島)に持ち込んだティピカ種の苗木にあるとされ、カリブ海の島々を巡るなかで同じフランス領であるサン=ドマング(現ハイチ)に持ち込まれたと考えられます。

※1.ハイチコーヒーの起源……コーヒーノキはそれ以前から既に西半球に存在しており、1715年にはフランス領サン=ドマングでも導入されていたとする説もある。

 ハイチは気候・地理的にもコーヒー栽培に適しており、商業栽培がはじまると1750年以後は豊富な奴隷労働力を背景に生産量は急拡大し、当時すでに盛んだったサトウキビの栽培と並んで世界最大の生産国に成長し、最盛期には世界全体の半分を生産していました。コーヒーの主な輸出先はフランスを中心としたヨーロッパで、貿易額はフランスの40%を占めたといわれています。このようにハイチの植民地時代のコーヒー産業は植民地経済を支え、宗主国フランスにも莫大な富をもたらしました。

 しかし、1804年に独立すると、それまで労働力の主力を担っていた奴隷が解放されたことでプランテーション経済は崩壊し、国内の政情不安が続いたことにくわえ、19世紀半ばにはブラジルが世界一のコーヒー生産国として台頭してきたこともあり、ハイチのコーヒー産業は急速に衰退します。

 その後1870年代末から米国の管理下にあった19世紀中頃までは、その前後の時代に対し比較的安定していたことから、道路や鉄道といった近代的なインフラ整備が進み、ブラジルが過剰生産によるコーヒーの売り控え政策をとったこともあり、コーヒー産業は砂糖産業とともに一時的に盛り返し、世界第三位の生産国にまで回復しました。

 ところが、1950年代からは国内では再び軍事政権やクーデターなどが繰り返され、米国の経済制裁をうけたことでハイチ経済は困窮します。1980年代にはそれまで80%だった農業従事者が66%に落ちたとされ、フェアトレード政策によって一部の農園はコーヒー栽培を続けることができたものの、多くの栽培農家は農地を捨て炭を売るために森林伐採をおこないました。

 21世紀に入ると、自然災害が栽培農家を苦しめました。森林を伐採したことでハリケーンの襲来時に土壌が浸食され、干ばつなど幾度となく襲う自然災害によって農地は荒れ果ててしまいました。そして、2010年のハイチ大地震はコーヒー産業にも大きな損害を与えました。さらに、海外ではブラジル、コロンビアをはじめとした中南米諸国での生産が盛んになったことや、国際市場価格の値下がりが追い打ちをかけハイチのコーヒー生産・輸出量は窮地に陥っています。

・ハイチのコーヒー生産
 ハイチのコーヒーは15万~20万世帯の小規模農家によって栽培されています。栽培品種のほとんどがアラビカ種のなかでももっとも古い品種の一つとされているティピカ種で、収穫は標高によって前後するものの10月から3月頃におこなわれています。

 農園は山の斜面にあるため機械を導入することができず、手作業で収穫されています。資金不足もあり化学肥料や農薬を使用しない有機栽培が中心で、収穫されたコーヒーチェリーを果実のまま天日乾燥したのちに脱穀して豆を取り出すナチュラル精製が主流となっています。また、豆の等級はサイズ、風味、標高によって複雑に分けられています。

 コーヒー栽培は国内最高峰のラ・セル山周辺から西へ細長く伸びた半島(チビュロン半島)まで南部地域一帯の山岳地帯で広くおこなわれ、主な生産地には南東県のThiotte[ティオッテ]、Savane Zombi[サバナゾンビ]、南県のBaptiste[バプティスト]、Jacmel[ジャクメル]、グランダンス県のJérémie[ジェレミー]などがあります。また、高品質なブランドコーヒーとして、ラ・セル山周辺のマールブランシュ[Marre Blanche](標高800~1,500m)やブルーパインフォレスト[Blue Pine Forest](標高800~1,200m)があります。

 これらの地域は雨期にはカリブ海から吹き込む貿易風が豊富な雨量をもたらし、火山性の肥沃な石灰質土壌によって高品質なコーヒーを栽培することができます。

 現在の生産量は少なく2010年の大地震の影響で一時輸出が中断されましたが、世界各国からの支援によってハイチコーヒー復活への取り組みが続けられています。2016年の統計では41,239トン(FAO推定値)となっており、また、輸出先はかつて宗主国であったフランスをはじめとするヨーロッパが大半を占め、日本にもわずかながら輸出されています。

 ハイチのコーヒーの風味は苦味が少なくさっぱりとしていて、フルーティーな甘さとかすかなスパイシーさが特徴とされています。また、ハイチコーヒーは、ただ単にハイチ産のコーヒーを意味するだけでなく、サトウキビから作られるラム酒をコーヒーに加えた「カクテル」としても知られています。


ハイチ ブルーパイン フォレスト(中煎) 200g




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2018/03/24(土) | 産地情報 | トラックバック(-) | コメント(0)

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