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タンザニアの産地情報

タンザニアコーヒーの産地情報
タンザニア国旗



・基本データ
国名 :タンザニア連合共和国
面積 :94.5万平方キロメートル(日本の約2.5倍)
人口 :4,925万人(2013年:世銀)
民族 :スクマ族、マコンデ族、チャガ族、ハヤ族等(約130)
首都 :ドドマ(法律上の首都であり、国会議事堂が置かれている。人口約208万人)
言語 :スワヒリ語(国語)、英語(公用語)
宗教 :イスラム教(約40%)、キリスト教(約40%)、土着宗教(約20%)
GDP :332.3億ドル (2013年)
主要産業 :コーヒー、サイザル麻、茶、綿花、カシューナッツ、タバコ、グローブ、トウモロコシ、キャッサバ等
通貨 :タンザニア・シリング(T.shs)

 タンザニアはイギリスの植民地であったタンガニーカ(1961年独立)とザンジバル※1(1963年独立)が1964年に併合してできた連合共和国です。国名の由来は、両国の名称と、かつてこの地域で栄えたアザニア文化の名称を複合し名づけられました。
※1ザンジバル・・・タンザニアの東海岸、インド洋に浮かぶ小さな島で、1963年に独立し、翌年の革命を経てタンガニーカと併合。タンザニア中央政府から強い自治権を認められており、ザンジバル革命政府によって統治されている。
 
 1996年には立法府である国会をトドマに移転させますが、政府の官庁はいまだに旧首都であるダルエスサラームにあるため、ダルエスサラームが事実上の首都機能を有し、経済の中心都市にもなっています。

 タンザニアは農業国で、農業従事者は労働人口の約74%を占めます。主な輸出品には金、タバコ、コーヒー、カシューナッツ等があり、特にコーヒーは「キリマンジャロ」のブランドで世界に知られ上質のコーヒーとして世界的に評価されています。

 最近では観光業も成長を続けており、レジャーはンゴロンゴロ保全地域やセレンゲティ国立公園などでのサファリ、キリマンジャロへの登山、ザンジバル島のストーン・タウンなど歴史遺産やザンジバルでのビーチリゾートなど多岐に渡っています。

・国土
 タンザニアはアフリカ大陸の東海岸に位置しインド洋に面しています。北東部のケニア国境にはアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ山(5,895m)があり、北部にはアフリカ最大のビクトリア湖、西部にアフリカで最も深いタンガニーカ湖があります。内陸部は乾燥したサバナ地帯で貴重な野生動物が生息しており、ンゴロンゴロ保全地域やセレンゲティ国立公園などいくつかの保護区があります。

・気候
 気候的には沿岸部は熱帯性で一年中蒸し暑いですが、国土の大半は海抜1,000m以上の高原で、沿岸部に比べれば過ごしやすくなっています。降水量は沿岸部やビクトリア湖、キリマンジャロ周辺では1000m程度の雨が降りますが、内陸部で500mlほどです。季節は3月から5月にかけての大雨期と10月から12月の小雨期があります。

・歴史
 タンザニアにアラビカ種のコーヒーが伝わったのは、ヨーロッパ各国がアフリカへ進出し始めた時代の1877年のことです。レユニオン島※1からブルボン種※2の苗木がフランス人宣教師によってバガモヨ※3持ち込まれました。
※1.レユニオン島・・・マダガスカルの東に浮かぶ島。現フランス領。
※2.ブルボン種・・・アラビカ種の亜種である「ティピカ種」を1715年にイエメンからブルボン島に移植し、突然変異で誕生した品種。隔年収穫型で収穫量は安定せず、霜害や病虫害にも弱い。品質は良好で、甘味や濃厚なコクと丸みが特長。
※3.バガモヨ・・・インド洋に面し、ザンジバル島の向かいにあるタンザニアの港町。ザンジバルの奴隷市場へ奴隷を運ぶための輸出港として19世紀に発展を遂げ、ドイツ領東アフリカ成立時には首都となった。

 現在のタンザニアコーヒーの商業栽培の基礎はドイツが築き上げたものでした。1886年にドイツがタンガニーカ(現タンザニアのザンジバルを除く地域)を「ドイツ領東アフリカ※4」として統治下に置くと、東ウサンバラでのコーヒー栽培の失敗※5を経て、ビクトリア湖の西側の「ブコバ地方」とキリマンジャロの麓の「モシ地方」で本格的なコーヒー栽培に乗り出していきます。
※4.ドイツ領東アフリカ・・・現在のブルンジ、ルワンダ、およびタンガニーカ(タンザニアの大陸部)の3地域を合わせたドイツの植民地。1880年代から第一次世界大戦でドイツが敗戦するまで存在し、戦後はイギリスとベルギーの委任統治領となった。
※5.東ウサンバラでのコーヒー栽培の失敗・・・雨が多い地域であったため収穫量は少なく、1873年にザンジバルが奴隷貿易を廃止したため、果実を収穫できるだけの労働力も確保でなかった。


 ブコバ地方には、すでにハヤ族が伝統的な「ハヤコーヒー※5」(ロブスタ種)がありました。コーヒー豆はお金としても使われており、新たにコーヒーの木を植えるためには、族長の許可が必要でしたが、ドイツは1911年にアラビカ種のコーヒーを強制的に栽培させていきました。
※5.ハヤコーヒー・・・飲用ではなく、実を煮たり干したりして加工し。噛んで利用していた。

 一方でモシ地方(タンザニア北部のキリマンジャロ周辺)は、1893年にギリシャ人宣教師がコーヒーを持ち込み、キリマンジャロ山の麓町、モシの東にあるキレマ村の教会の裏庭に植えられたのがはじまりとされています。1907年になるとドイツが入植し、キリマンジャロ山の麓に住むチャガ族を労働力として利用したプランテーション(大規模農園)を開拓し、コーヒー栽培が本格的に始まります。コーヒー栽培は徐々に拡大していき、1914年ごろには100のプランテーションで200万本のコーヒーノキが栽培されるまでになりました。

 そして、1919年にドイツが第一次世界大戦に敗戦すると、現在のタンザニアはイギリスの委任統治下に置かれます。モシ地方でのコーヒー栽培は、イギリスが1922年にチャガ族にも小作農によるコーヒー栽培を認めたことにより最盛期を迎えます。販売機構の組織化がなされ1933年には「キリマンジャロ先住民共同組合連合会」(略KNCU:Kilimanjaro Native Co-operative Union)が設立されると、1936年にはコーヒー生産量が1,500tに達しました。

 現在では「キリマンジャロ」ブランドとして絶大な地位を確立しているタンザニア産のコーヒーですが、当初は無名であったため他の東アフリカ産のコーヒー豆と一緒に一旦イエメンのモカ港に運び、「モカ※6」ブランドとして高値で輸出していました。
※6.モカ・・・モカ港に集積されて輸出されたことからつけられたブランド。現在ではエチオピアとイエメン産のコーヒーの総称となっている。

・日本におけるキリマンジャロ
 タンザニア産の代名詞でもあり、日本でも親しまれているキリマンジャロですが、日本では1950年代までタンザニア産のコーヒー豆は無名でした。ある日本の輸入業者が販売戦略として、1953年公開のグレゴリー・ペック主演映画『キリマンジャロの雪』(ヘミングウェイ原作)にちなんで「キリマンジャロ」の名称が付けられ、ブランド化に成功し、日本でも親しまれるようになりました。

 現在では「キリマンジャロ」の銘柄を使用するには定義があり、『タンザニア産のアラビカ種で精製方法(コーヒーの果実から種を取り出す方法)は「水洗式※7」であるもの』と定められています。このため、ロブスタ種※8やタンザニア産のアラビカ種であってもブコバ地区(タンザニア北西部のヴィクトリア湖西岸)などで生産されている「乾燥式」の豆はキリマンジャロと名付けることはできません。
※7.水洗式・・・収穫した果実の外皮と果肉を除き、種の周りに付着した粘液質を水で洗い流した後乾燥さて生豆を取りだす方法。詳しくはこちらから⇒コーヒー豆の精製方法/水洗式(ウォッシュド)
※8..ロブスタ種・・・カネフォラ種の亜種にあたる。豆の形は、アラビカ種よりも丸みを帯びており、 カフェインやクロロゲン酸が多く含まれており、苦みと渋みが強く、焦げた麦のようなクセのある香り特徴。 しかし、アラビカ種よりも風味は劣り、取引価格も非常に安く、 主に、廉価のレギュラーコーヒーの増量剤としてや、缶コーヒーやインスタントコーヒーなどの加工品に使用されている。

 タンザニアは輸出全体の7割(2000年時)を農産物が占めるほど農業への依存度が高かく、キリマンジャロコーヒーも主要な輸出品のひとつとなっています。日本へは、モシをはじめとする北部産がの豆がストレート用として、タンザニア南部(ムベヤ州・ソンゲア州)で生産された豆は缶コーヒー用として輸出されています。

・タンザニアのコーヒーレビューはこちらから
タンザニア ンゴロンゴロ地区(コーヒーマーケット)※リピート
キリマンジャロ(カルディコーヒーファーム)
タンザニア/モンデュール(珈琲工房ひぐち)


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2015/12/19(土) | タンザニア | トラックバック(-) | コメント(0)

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