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ケニアの産地情報

ケニアコーヒーの産地情報

ケニア国旗



・基本データ
国名 :ケニア共和国
面積 :58.3万平方キロメートル(日本の約1.5倍)
人口 :4,435万人(2013年:世銀)
民族 :キクユ族、ルヒヤ族、カレンジン族、ルオ族等
首都 :ナイロビ
言語 :スワヒリ語、英語
宗教 :伝統宗教、キリスト教、イスラム教
GDP :552億米ドル(2013年:世銀)
主要産業 :コーヒー、茶、園芸作物など
通貨 :シリング
独立した年 :1963年英国より独立

 首都ナイロビは、マサイ族の言葉で「冷たい水」を意味する通り、付近にナイロビ川とその支流が流れる水の豊かな街です。ケニアは1963年にイギリスから独立し、その後も経済発展を続け、東アフリカ経済の中心地となっていきます。主要産業は農業でGDPの約25%、労働人口の約60%を占めています。主要な輸出品には、コーヒーの他にも紅茶や園芸作物があります。

・国土
 ケニアはアフリカ大陸東海岸に位置する、赤道直下の国です。日本のおよそ1.5倍の面積を持ち、地理的には東はソマリア、北はエチオピアとスーダン、西はウガンダ、そして南はタンザニアと隣接しています。

 ケニアの国土の大半は標高1,200m以上の高原で、中南部には首都ナイロビや世界遺産にも登録されているアフリカ第2の山ケニア火山があり、タンザニアとの国境付近にはアフリカ最高峰のキリマンジャロ山(5,895m)の裾野が広がります。沿岸部にはモンバサなどのリゾート地があり、北部はほとんど降雨のない砂漠地帯が広がっています。中西部には大地の裂け目ともいえる大地溝帯(グレート・リフト・バレー)が走っており、これは現在でも年間に0.5cmほど裂けているそうです。そして、西部のビクトリア湖沿では、降水量に恵まれており、農耕が盛んです。

 国内にはマサイマラ、アンボセリ、ナクル湖国立公園などがあり、ここでは象やライオンなどの多くの野生動物を見ることができ、特に、マサイマラ国立自然保護区では毎年7月頃になると、隣国タンザニアのセレンゲティ国立公園からヌ―の大群が押し寄せ、その光景は圧巻です。

・気候
 ケニアには雨季と乾季があり、年に3月~5月(大雨季)と10月~12月(小雨季)の二度の雨季を向かえます。

 気候は地域によって大きく異なります。国土の大部分を占める中央高原地帯では、赤道直下にあるものの、標高が1,700mほどあるため、最も暑い2~3月でも26度ぐらいまでしか上がらない涼しい気候で、雨も多い地域であるため、お茶やコーヒーのプランテーション、切り花用の植物の栽培が盛んです。ケニア山には万年雪や氷河が残り、標高2,500m以上では、霜がおります。

 西部のビクトリア湖周辺や海岸地帯では、年間を通じて高温多湿(平均気温27℃)の熱帯気候で、ケニアの西部は特に雨が多い地域で、肥沃な大地となっており、農業が盛んで、この地方で採れるバナナはケニアの特産品となっています。

 一方、北部に広がる砂漠地帯では雨のほとんど降りません。また、この北部にあるスグタバレーは、地球上で最も暑い場所のひとつとして知られています。

歴史
 ケニアコーヒーが世界に知れ渡るようになるのは第二次世界大戦以降のことですが、独立前のイギリス統治時代には、すでに研究施設が設立され、政府主導のコーヒーの研究やマーケティングが行われていました。現在のケニアは、栽培から精製※1、そして流通に至るまで、そのすべてを政府が徹底して管理していますが、その仕組みがどのように出来上がっていったのかを大まかに見ていきたいと思います。
※1.精製・・・コーヒーの果実から豆となる種子を取り出す方法のこと。

 ケニアコーヒーの発祥は、1877年にフランス人宣教師がブルボン種をタンザニアのバガモヨへ持ち込み、その一部が現在のケニア領内にも広がったといわれています。この東アフリカに最初に広まったブルボン種は「新芽がブロンズ色」をしており、フランス人宣教師にちなんで「フレンチミッション」と呼ばれています。

 1888年にイギリスが現在のケニアにあたるイギリス領東アフリカを統治下するようになると、1893年にスコットランド人宣教師ジョン・ペーターソンがイエメンのコーヒーをナイロビに持ち込み、キブウェジ※2(Kibwezi)でケニアで本格的なコーヒー栽培が始まります。その後は、ナイロビ北部のキアンブ、ルイル、チカなどの地域を中心に栽培されるようになり、港湾都市モンバサから輸出されました。
※2.キブウェジ・・・モンバサとナイロビのちょうど中間に位置し、テイタ丘陵ブラ村の北側。

 その後1903年にケニアのカベテに「スコット研究所※3(Scott Laboratories)」が設立されます。この研究所は「さび病」対策として当時同じイギリス領であったインドから「ケント種※4」を持ち込んだほか、世界中から様々な品種のコーヒーを入手・研究し、1930年代には、「SL-28※5」、「SL-34※6」などのケニアを代表する品種を次々に開発していきます。
※3.スコット研究所・・・現在のケニア国立農業研究所(略NARL:National Agricultural Research Laboratories)。
※4.ケント種・・・ティピカ種の突然変異種で、1911年にケント氏が発見したことからこの名で呼ばれています。東アフリカにおけるさび病には一定の効果を発揮したため、イギリス統治下のケニア・タンザニアに、耐さび病品種として広まっていっきました。
※5.SL-28・・・SLとは、スコット・ラボラトリーの頭文字に由来し、番号は28番目の品種であることを意味します。タンガニカ北部(現在のタンザニア、キリマンジャロ付近)のブルボン種(フレンチミッション)を改良した品種で、高地に適し、乾燥に強く、高い品質で現在ケニアの主要品種となっています。ただし、さび病に対する抵抗力が弱いのが欠点です。
※6.SL-34・・・スコット研究所のあったカベテ地区のロレショ農園(Loresho Estate)のフレンチミッションが起源。主な特徴はSL-28と似ており、加えて雨量の多い地域でも栽培が可能で収穫量も多いというメリットがあります。しかし、SL-28と同様にやはり耐病性が低いのが欠点です。

 1933年にはコーヒーに関する法律が制定され、翌年には政府機関として「ケニアコーヒー局(CBK:Coffee Board of Kenya)」が設立されます。このCBKの主な役割はコーヒー産業の研究、マーケティング、品質管理、オークションの開催などで、国内で生産されたすべてのコーヒーはこのCBKを通さなければ取引できないと定められます(現在では民間オークション、直接取引も可能)。

 ケニアは1963年に独立を果たした後も、イギリス植民地時代に培ったコーヒーのマーケティングのノウハウを引き継ぎ、1944年にはイギリス統治時代に設立された「コーヒー研究所(CRS:Coffee Research Station)」を、「コーヒー研究財団(CRF:Coffee Research Foundation)」という名称に変え、ケニアコーヒー局(CBK)の管理のもとでコーヒー研究の中心的な役割を果たすようになっていきます。(CRFは1985年に耐病性の強い品種「ルイル11※7を発表しています)
※7.ルイル11・・・コーヒー研究財団(CRF)の前身であるコーヒー研究所(CRS)がルイル(Ruiru)近郊にあったことからこの名がつきました。最初の数字1は交配の方法、その1番目に作られた品種という意味で、Ruiru11という名が付けられています。現在はケニアの2~3%程度が栽培されており、品質は K7、SL28、34に劣ります。

 このように、ケニアではコーヒーの専門的な研究機関を世界に先駆けて創設し、生産から流通までを研究し、品質管理のシステムを作り上げたことによって、ケニアコーヒーの品質は次第に高まり、世界で評価されるようになっていきました。

 現在のケニアコーヒーの生産量は決して多いものではなく、輸出額の割合もわずか5%程度にとどまるものの、その質の高さから、特にヨーロッパでは高級品として取引されています。

・ケニアコーヒーのレビューはこちらから
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2015/11/21(土) | 産地情報 | トラックバック(-) | コメント(0)

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